現代において、わたしたちと国家は切っても切り離せない関係にあります。
国家(こっか)とは、国境線で区切られた国の領土に成立する政治組織で、その地域に居住する人々に対して統治機構を備えるものである。
領域と人民に対して、排他的な統治権を有する(生殺与奪の権利を独占する)政治団体もしくは政治的共同体である。
政治機能により異なる利害を調整し、社会の秩序と安定を維持していくことを目的にし社会の組織化をする。
出典:国家-Wikipedia
国家は社会の秩序を守るものとして、必要不可欠なようです。
しかし、とある先人は言います。「国家は冷酷な怪物である」と。
国家とは、あらゆる冷ややかな怪物のなかで、最も冷ややかなものである。
出典:ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った(上)』(岩波文庫)
国家が人々に与える悪影響とは何か?
今回はニーチェの著書を基に国家の問題点について書いていきます。
スポンサーリンク目次
国家は個人を大衆化し権威に服従させる
善人も悪人も、すべての者が毒を飲むところ、それをわたしは国家と呼ぶ。
善人も悪人も、すべてがおのれ自身を失うところ、それが国家である。
国家は、善と悪についてあらゆることばを駆使して、噓をつく。国家が何を語っても、それは噓であり、国家が何を持っていようと、それは盗んできたものだ。
国家が欲しているのは従順な人間です。それは義務教育を通じて作られます。
義務教育で学ぶのは無意味で役に立たないことばかり。真に教え込まれるのは権威への服従です。
学校では教師にに逆らうことは許されません。間違いを指摘すれば逆ギレしたり、怒った教師が職員室に引きこもり それを生徒が謝りに行って呼び戻すなどといった茶番は誰しも遭遇したことがあるでしょう。学校では教師という権威が全てなのです。
その結果、人々は大衆化されます。自らの頭で考えずメディアを通じて専門家といっとエリートという権威に服従してしまうのです。
国家は人々から搾取する
この余計な人間たちを見るがいい! かれらは創意ある人たちの所産や賢者たちの数々の宝を盗みだし、この窃盗を教養と呼んでいる、しかもこうした一切がかれらの病気となり、わざわいとなっている!
国家は徴税と称して、人々から強制的に財産を奪います。増税もされれば、富裕層はさらに富を奪われ、貧困層はさらに貧困化します。国家と税金は人々を不平等にする元凶なのです。
この余計な人間たちを見るがいい! かれらは富を手にいれ、それによってますます貧しくなる。かれらは権力を欲する。そこでまず権力をつくりだす鉄梃である、おびただしい金銭を求める、この無力な者どもは!
富を失うことに不安を感じる富裕層は貧困層から搾取しようとさらなる権威を欲します。金の亡者とも言えるでしょう。
しかし、富裕層がどんなに富を得ても国家に重い税を掛けられ、搾取されます。貧困層は国家と富裕層、富裕層は国家から永遠に搾取されてしまうのです。
まとめ:国家は人々を束縛し不幸にする
わたしから見れば、かれらはみな狂人であり、よじのぼる猿であり、熱にうかされた者である。
かれらの偶像、この冷ややかな怪獣は悪臭を放つ。かれら、この偶像を崇拝する者ことごとく悪臭を放つ。
国家は人民を支配する冷酷な怪物であり、それを崇拝する大衆は狂人です。
悪臭から逃れよ! あらずもがなの人間たちが営む偶像礼拝から逃れよ!
国家が終わるところ、そこにはじめて人間が始まる。余計な人間でない人間が始まる。必要な人間の歌が始まる。一回かぎりの、かけがえのない歌が始まる。
真に自由で平等な暮らしを実現するには国家から逃れるしかありません。
とはいえ、現代において世界は国家で溢れています。国家から逃れることは非常に困難なことでしょう。現実は非情です。
上記のように、国家の存在を否定する思想をアナーキズムと呼びます。
アナキズム(英語: Anarchism、アナーキズム、無政府主義)は、既成の国家や権威の存在を望ましくない・必要でない・有害であると考え、調和的な社会結合を目指す政治思想。
「Anarchy」の語源は古代ギリシア語で「支配する者のない」を意味する。
アナキズムの主張者をアナキスト(アナーキスト、無政府主義者)と呼ぶ。
アナーキズムこそ、社会のあるべき姿に違いありません。わたしたちにとって、国家は不要な存在でしかないのです。わたしたちはアナーキストを目指すべきです。