世間一般において、結婚して子供を持つことは当たり前のことであるとされています。
また、子育ては素晴らしいことであり、立派な人間の証であるとされています。
しかし、果たしてそうでしょうか?
ある著書を読んでいたら、以下のような記述がありました。
「子供を産むのは、苦労である」と、他の者は言う、「それなのに何のために産むのか? 産まれてくるのは不幸な人類だけではないか!」
出典:ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った(上)』(岩波文庫)
とある先人は結婚し子供を持つことは苦労であり、不幸であると言います。
なぜ、子供を産み育てることは苦しみなのか?
今回はにニーチェの著書をもとに子供を持つこと&子育ての苦しみについて考えていきます。
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子育ては時間と金の浪費である
あなたの願望から、動物が声を発し、必要が声を発しているのではなかろうか? それとも孤独のさびしさが? それとも自己自身との不和が?
周囲に良く思われたいだとか、孤独になるのが怖いといった理由で人々は子供を産み育てるのでしょう。
しかしながら、周囲の評判が良くなっても、寂しさ紛らわすことができても、子育てはその人の時間と金を奪います。
子供を産めば自分の時間を捧げて子育てに従事しなければなりません。育児放棄は犯罪です。
金銭面に関しても莫大な養育費はもちろん、食費などもさらに上乗せされます。子供のために自分の稼いだ金を捧げなければならないのです。
自分の子供といっても所詮は他人です。そこまでして、他人のために自己犠牲を払う必要があるのでしょうか? 少なくとも私は嫌です。
産まれてくる子供は不幸である
これらの結婚を笑ってはならない! 子供たちはみな泣いているのだ。かれらには両親のために泣くだけの理由がある。
毒親、DV、いじめ、ブラック企業、少子高齢化に伴う増税など、社会の過酷さに子供たちはみな泣いています。産まれてくる子供たちはみな不幸なのです。
それなのに、多くの大人は自分の勝手な都合で子供を産み、さらにはエゴを押し付けます。親孝行という言葉を利用して、恩着せがましい態度を取ったり、子供を自分の支配下に置いたりするのです。子供からすれば、たまったものではないでしょう。
産まれてきた子供たちは生きることは素晴らしいことであると教え込まれ、そう信じ込みます。しかし、実際は社会に重荷を担わされ苦しんでいます。
子供たちは生きているのではなく生かされているだけなのかもしれません。生かされていることは素晴らしいことではなく苦痛でしかないのです。
まとめ:出産と子育ては苦行である
あなたは子供を望むことが許されている人間であろうか?
現代では、独身で子供を持たない人はダメ人間の烙印を押されがちです。
それでも、私は結婚も子育てもしたくありません。そこまでして得られるのは世間体だけだからです。時間とお金は失ってしまいます。私以外にも同じ考えの人はいるでしょう。
だったら、私はダメ人間でいい。私が欲しいのは時間とお金です。そんなくだらないことで他人にどう思われようがこちらの知ったことではありません。むしろ、独身の方が都合が良いとすら感じます。
生まなければならない者は、いわば病人である。そして生み終わった者は、不浄である。
女たちに訊いてみるがいい。楽しいから生むのではない。雌鶏と詩人を鳴かせるのは、苦痛だ。
出典:ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った(下)』(岩波文庫)
新しい子ども、おお、なんと多くの新しい汚物が、それとともに生まれたことか! 手を触れることはない! そして生み終わった者は、かれの思いを洗い清めなければならない!
「結婚したら子供を産まなければならい」、「周囲に認められるためにも子育てしなければならない」という強迫観念は一種の病気のようにも思えます。
結婚して子供を持つことが自分にとっての幸せに繋がるのか? 改めて考えてみてください。
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