労働はクソです。苦しむことしかありません。労働は会社への従属であり、束縛です。
他人に従属することはすべて苦しみである。
出典:『ブッダの真理のことば・感興のことば』
以前の記事では「働いたら負け」ということについて書きました。この考えは真理ですし、これからも永遠に残り続けるでしょう。
しかし、世間において「働きたくない」というのは一種のタブーとなっています。
働くのは素晴らしい、働かない奴はダメ人間だと教え込まれます。中には「働かないくらいなら死んだ方がマシ」と言う輩もいるようです。(いくらなんでも大げさすぎますが…)
でも、何と言われようと労働は苦痛でしかありません。労働はハイリスクローリターン、これに尽きます。だから、「働きたくない」という感情が湧くのは自然なことです。
なぜ、現代は「働きたくない」と思う人で溢れているか?
今回はなぜ「働きたくない」かについて考えていきます。
社畜の待遇は悲惨
上の画像にもあるように、社畜の待遇は悲惨なものです。刑務所の方がよっぽどマシです。
画像を見るに、刑務所ではまともな生活が送れるようです。労働時間は8時間厳守、休憩&食事付き、休日があるのはもちろん、残業もありません。規則正しいナイスな生活です。
一方、社畜はまともではありません。食事・休憩が取れないうえに、残業もある不規則な生活を送ることになります。その割りに、大した収入は貰えません。
まして過労死など、死ぬ可能性だってあります。死ぬまでは行かなくても精神を病んだり、工場など業種によっては体の一部を失うことだってあります。
リターンが少なすぎる、心身共にに支障をきたす、時間を奪われる、休めない、殺される、これらが労働はクソであると言われ要因であり、「働きたくない」と言われる要因でもあります。
労働では自分のために生きることができない
人生の主人公は自分です。よって、自分のために生きるというのは当然の考えです。他人のために生きる必要なんてありません。
しかし、労働とは会社の利益のために働くことです。BtoC企業であれば、消費者のためにも働かされます。「お客様は神様です」という言葉もあるくらいです。
人の役に立つことに生きがいを感じる人もいるでしょう。でも、一番大切にすべきは自分です。自分がダメになったら、どうしようもありませんから。
誰に何と言われようが、自分の気持ちを最優先にすべきなのです。
他人に従属することはすべて苦しみである。
自分が思うがままになし得る主であることはすべて楽しみである。他人と共通のものがあれば、悩まされる。束縛は超え難いものだからである。
出典:中村元『ブッダの真理のことば・感興のことば』
最初にも言ったように、労働は従属です。従属は苦しみであり、人々を悩ませ束縛します。
労働では自分のために生きることができません。むしろ、働くために生きるという事態に…
終わりに:労働では幸福になれない
以上のことから、労働では幸福になれません。労働によって人々は奴隷として扱われ、死ぬまで悩まされ続けるでょう。
悩める人々のあいだにあって、われらは悩み無く、いとも楽しく生きて行こう。悩める人々のあいだにあって、われらは悩み無く暮そう。
出典:中村元『ブッダの真理のことば・感興のことば』
社畜とニートであれば、ニートの方がよっぽどマシです。ニートは人間関係に悩むことはありませんし、過労死することもありません。さらに、時間も自分でコントロールできます。
かといってずっと無収入の状態でいるわけにもいきません。目指すべきは収入のあるニート、いわゆるネオニートです。
真に充実した人生を歩めるのは悩みのない人。人間の悩みというのは対人関係もしくはお金に関するものばかりです。
ブログや株をはじめとする不労所得はもちろん、条件が良ければ、在宅勤務でも問題ありません。
林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。
出典:中村元『ブッダのことば―スッタニパータ』
とにかく、他者から独立することが先決です。そうしてこそ、苦しむことなく収入を得て自由に暮らすことができるでしょう。
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