アイキャッチ画像

世間の常識は非常識!「常識を疑え」は真理である!

スポンサーリンク

社会には常識というのがあります。人はそれを正しいとしており、それに沿って行動します。

そもそも常識とは何か?

常識(じょうしき)は、社会の構成員が有していて当たり前のものとしている。社会的な価値観、知識、判断力のこと。

常識-Wikipedia

わたしたちは家庭や学校教育によって常識を刷り込まれ、それを正しいと思い込みます。

しかし、常識=正しい、非常識=間違い なのでしょうか? 常識の押し付けは良いことなのでしょうか? 常識だけを信じていればいいのでしょうか?

福沢諭吉は『学問のすすめ』にて次のことを言っています。

信の世界に偽詐多く、疑いの世界に真理多し。

信じることには偽りが多く、疑うことには真理が多いとのことです。

その理由は何か? 疑うことによって見えてくるものとは?

今回は福沢諭吉『学問のすすめ』をもとに、疑うことの必要性について書いていきます。

安易に信じる人は騙されやすい

安易に何でも信じてしまう人は情報を吟味することなく、嘘に振り回され続けます。

試みに見よ、世間の愚民、人の言を信じ、人の書を信じ、小説を信じ、風聞を信じ、神仏を信じ、卜筮を信じ、父母の大病に按摩の説を信じて草根木皮を用い、娘の縁談に家相見の指図を信じて良夫を失い、熱病に医師を招かずして念仏を申すは阿弥陀如来を信ずるがためなり。

世間の人々はうわさ話で聞いたこと、本やテレビで見たものなど何でも、根拠もないのに信じます。嘘なのかもしれないのに…

実際、カルト宗教を信じ込んで騙されたあげく財産を取られる人も多いと聞きますよね。

「騙す方が悪い」というのはごもっともではありますが、それをいくら声高に叫んでも被害は防げません。知識を集めたり自分の頭で考えましょう。それこそ、自分の身を守る手段です。

人民は事物を信ずといえども、その信は偽を信ずる者なり。ゆえにいわく、「信の世界に偽詐多し」と。

スポンサーリンク

疑ってこそ新たな発見がある

文明の進歩は、天地の間にある有形の物にても、無形の人事にても、その働きの趣を詮索して真実を発明するにあり。西洋諸国の人民が今日の文明に達したるその源を尋ぬれば、疑いの一点より出でざるものなし。

今日における新たな価値や発明は疑いによって誕生したものが大半です。

福沢は例えとして、以下のことを挙げています。

ガリレオが天文の旧説を疑いて地動を発明し、ガルハニが蟆の脚の搐搦するを疑いて動物のエレキを発明し、ニュートンが林檎の落つるを見て重力の理に疑いを起こし、ワットが鉄瓶の湯気を弄んで蒸気の働きに疑いを生じたるがごとく、いずれもみな疑いの路によりて真理の奥に達したるものと言うべし。

わが日本においても、開国以来とみに人心の趣を変じ、政府を改革し、貴族を倒し、学校を起こし、新聞局を開き、鉄道・電信・兵制・工業等、百般の事物一時に旧套を改めたるは、いずれもみな数千百年以来の習慣に疑いを容れ、これを変革せんことを試みて功を奏したるものと言うべし。

西洋において、ガリレオの地動説、ガルヴァーニの動物電気、ニュートンの重力、ワットの蒸気機関はいずれも彼らが既存の見解を疑ったことで作られました。

日本においても、貴族制の崩壊はそれまでの慣習の打破ですし、鉄道や電気通信、工業などは古い価値を変えるために導入されました。

説論の生ずる源は疑いの一点にありて存するものなり。「疑いの世界に真理多し」とはけだしこの謂なり。

世上に普通にして疑いを容るべからざるの習慣に疑いを容るるにあるのみ。

世間で習慣になっていることをあえて疑ってこそ、新たな価値を発見できるのです。

スポンサーリンク

信と疑の取捨選択が大切

然りといえども、事物の軽々信ずべからざることはたして是ならば、またこれを軽々疑うべからず。この信疑の際につき必ず取捨の明なかるべからず。

かといって、安易に信じることがダメなのはもちろん、古いものをすぐに疑うのも良くありません。有益な情報を逃しがちです。

天下の人心この勢いに乗ぜられて、信ずるものは信に過ぎ、疑うものは疑いに過ぎ、信疑ともにその止まるところの適度を失するものあるは明らかに見るべし。

信じることも疑うことも節度が大事です。自ら判断し必要な情報を取捨選択しましょう。そうしてこそ、チャンスは掴めるはずです。

スポンサーリンク

まとめ:常識を疑うことで人は進歩する

歴史に名のある偉人は皆、常識はずれです。彼らの発見・発明は世界を変え、新たな価値を与えています。

世間の常識は人々の勝手な思い込みにしか過ぎず、非常識こそ正しいのかもしれません。

幾多の書を読み、幾多の事物に接し、虚心平気、活眼を開き、もって真実のあるところを求めなば、信疑たちまちところを異にして、昨日の所信は今日の疑団となり、今日の所疑は明日氷解することもあらん。学者勉めざるべからざるなり。

今日まで信じていたことが、ちょっとしたきっかけで明日には疑いに変わったりすることだってあります。その逆も然りです。

福沢諭吉も言うように、本を読んだり物事に触れたりしましょう。そうして多様な見解に触れてこそ、新たな価値を生み出せるのです。

関連記事:無駄だらけ!? いらない日本の伝統・文化5選

なぜ人は勉強する必要があるのか?―学問の必要性について

スポンサーリンク