前回の記事で独立の必要性について書きました。個人が豊かな人生を送るには独立するしかありません。独立=自由です。
さて、福沢諭吉『学問のすすめ』を読み進めていると、次のことが記されていました。
独立に二様の別あり、一は有形なり、一は無形なり。なお手近く言えば品物につきての独立と、精神につきての独立と、二様に区別あるなり。
独立は二種類あるようですね。1つは「品物につきての独立」、もう1つは「精神につきての独立」とのことです。
これらは一体どういう意味なのでしょうか?本当の独立とは?
この記事では「学問のすすめ」における二種類の独立について考察していきます。
品物につきての独立
品物につきての独立とは、世間の人が銘々に身代を持ち、銘々に家業を勤めて、他人の世話厄介にならぬよう、一身一家内の始末をすることにて、一口に申せば人に物を貰わぬという義なり。
「品物につきての独立」とは他人から物を貰わないという意味です。誰にも依存せず自分の物だけで生きていけてこそ、本当の独立だと言いたいのでしょう。
実際、自分の身は自分で守るしかありません。最後に頼れるのは自分だということです。
人に頼ってばかりでは、一人になった時に何もできませんからね。他人なんていつ姿を消すか分かりません。誰かに依存するのは危険なのです。
現代であれば、日本の食料自給率が低い*のが悪い例です。輸入を規制されれば食糧難に陥るでしょう。本来は他国に依存せず、自給自足することが望ましいのかもしれません。
スポンサーリンク精神につきての独立
「一杯、人、酒を呑み、三杯、酒、人を呑む」という諺あり。今この諺を解けば、「酒を好むの欲をもって人の本心を制し、本心をして独立を得せしめず」という義なり。今日世の人々の行状を見るに、本心を制するものは酒のみならず、千状万態の事物ありて本心の独立を妨ぐることはなはだ多し。
「精神につきての独立」とは本心の独立を意味します。欲望を制御し自分を保っていられてこそ、本当の独立だと言いたいのでしょう。
上記に挙げられているように、お酒の飲み過ぎはお酒に呑まれていることでもあります。アルコール依存症ですね。これは欲望に支配されている悪い例の一つです。
ただ銭を用うるの法を工夫し、銭を制して銭に制せられず、毫も精神の独立を害することなからんを欲するのみ。
物事に支配されるのではなく、むしろ利用してやろうと考えることが大事です。
上記に則して言えば、お金に心奪われるのではなく、自分のためにどう活かすかを考えてこそ精神の独立に繋がります。
何事も考え工夫し、自分なりの方法を確立しましょう。
まとめ:心身の安定こそ独立である
福沢諭吉が定義した、二種の独立についていかがでしたか? 彼は著書『学問のすすめ』の中で度々、独立の必要性を説いています。
今回であれば、誰にも依存せず 何事にも流されることのない人こそ、真に独立していると言えるでしょう。世間に惑わされず、自分を大切にすることが一番です。
心身共に健康でいることに勝るものはありません。卑下することなく、自分を労りましょう。それこそ、独立への第一歩です。
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