あなたは人を世話したことがありますか?
子育てや新人研修など、人を世話するのは大変なものです。
世話【せわ】
面倒をみること。尽力すること。
出典:デジタル大辞泉
世話について、福沢諭吉は『学問のすすめ』で次のことを言っています。
世話の字に二つの意味あり、一は「保護」の義なり、一は「命令」の義なり。
「保護」と「命令」とは何でしょうか? 人を世話するのに必要なことは何か?
今回は福沢諭吉『学問のすすめ』をもとに、世話について考えていきます。
保護と命令
保護とは人の事につき、傍より番をして防ぎ護り、あるいはこれに財物を与え、あるいはこれがために時を費やし、その人をして利益をも面目をも失わしめざるように世話をすることなり。
「保護」とは相手を見守り、物を与えながら時間を掛けて世話することを意味します。
お金や食べ物など、物で釣るのは世話として有効なのです。これで相手は不満なく、やる気になります。相手が得られる物質的利益について考えましょう。
命令とは人のために考えて、その人の身に便利ならんと思うことを指図し、不便利ならんと思うことには意見を加え、心の丈を尽くして忠告することにて、これまた世話の義なり。
一方、「命令」とは相手のためになることを指導し、逆にそうでないことは自ら意見し相手に忠告することを意味します。
ただ上から目線で指図するのではなく、心から相手のことを思うことが大切です。相手の目線に立ち、役立つことを教えましょう。
スポンサーリンク良い世話と悪い世話
福沢諭吉は良い世話の例として、次のものを挙げています。
譬(たと)えば父母の子供におけるがごとく、衣食を与えて保護の世話をすれば、子供は父母の言うことを聞きて指図を受け、親子の間柄に不都合あることなし。
上記のように、親が子供に衣服と食事を与える代わりに言うことを聞いてもらうことが良い世話の例です。
良い世話の条件は「保護」と「命令」の両方とも欠かさず、ほぼ同じ比率であることだと言えます。契約と同じで、お互いに不都合がないことが重要です。
一方、悪い世話例としては以下2つのものを挙げています。
父母の指図を聴かざる道楽息子へみだりに銭を与えて、その遊冶放蕩を逞しゅうせしむるは、保護の世話は行き届きて指図の世話は行なわれざるものなり。
子供は謹慎勉強して父母の命に従うといえども、この子供に衣食をも十分に給せずして無学文盲の苦界に陥らしむるは、指図の世話のみをなして保護の世話を怠るものなり。
言うことを聞かない子供に対して親がお金を与えるだけであったり、一方で言うことは聞かせても十分な衣食を与えないというのが悪い世話の例です。約束を守らないのと似ていますね。
前者は甘やかすだけで相手のためになりませんし、後者は相手の不満が溜まって憎まれたり愛想を尽かされることになるでしょう。
現代ならば、サービス残業が悪い世話の例です。賃金を払わずタダ働きさせるのは労働者の不利益でしかありません。不満・怒り・苦しみ・憎悪を募らせるだけです。
一方だけが不利益を被ってはいけません。従属ではなく対等な関係であることこそ、本来の世話なのです。
まとめ:アメとムチのバランスが大事
保護と指図と両様の義を備えて人の世話をするときは、真によき世話にて世の中は円く治まるべし。
ゆえに保護と指図とは両ながらその至るところをともにし、寸分も境界を誤るべからず。
福沢も言うように、良い世話の秘訣は「保護」と「命令」の比率が同じであることです。両方を欠いてはいけません。バランスこそが重要です。
保護の至るところはすなわち指図の及ぶところなり。指図の及ぶところは必ず保護の至るところならざるを得ず。
もし然らずしてこの二者の至り及ぶところの度を誤り、わずかに齟齬することあれば、たちまち不都合を生じて禍の原因となるべし。世間にその例少なからず。
「保護」が行き渡っていれば同じくらいの「命令」が欠かせません。その逆も然りです。
だから、「保護」と「世話」のどちらかがわずか偏ってもいけません。それこそ災いの元であり、差はどんどん拡がっていきます。過保護・過干渉はもちろん、甘やかすだけでもいけません。
教える側も教わる側も同じ人間です。お互いに納得できるような良い世話を心がけましょう。良い世話こそ利益をもたらし、お互いを幸せにします。
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