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人々は自由であれ! ブッダの言う「安らぎ」とは?

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こんにちはNasuです。最近、仏教に関する著書を読んでいます。

現代における仏教は堅苦しいと思われがちです。しかし、著書を読むにつれてブッダの言う仏教は「誰にも縛られず自由で楽しい人生を生きよう」という教えであるように感じます。哲学的で明るいですね。

さて、私が読み進めている著書『真理のことば・感興のことば』に以下の記述があります。

(道に)思いをこらし、堪え忍ぶことつよく、つねに健く奮励する、思慮ある人々は、安らぎに達する。これは無上の幸せである。
*安らぎ―nibbāna. サンスクリット語でニルヴァーナ(nirvāa)という。「涅槃」と音写する。最高の理想の境地であり、仏道修行の最後の目的である。そこでは人間の煩悩や穢れがすべて消滅している。

安らぎは仏教における一番の目的であり、安らぎに達した人は幸せになるとブッダは説きます。

ブッダの言う「安らぎ」に達するには?

今回は『真理のことば・感興のことば』をもとに、安らぎ(ニルヴァーナ)について書いていきます。

他人から独立する

亀が諸の肢体(首と四肢と尾と)を自分の甲のなかにひっこめるように、自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、束縛の覆いを完くときほごして、なんぴとをも謗るな。

他人に依存しない、他人を悩まさない・非難しないことが安らぎへの道です。

以前にも書いたように、依存は自らを束縛します。一方、悩ますこと&非難することは他人への束縛です。束縛すること・されることでは安らぎに達しません。

他人に左右されない、他人を干渉しないことが大事です。自らを確立しましょう。他者から独立し束縛されないことは安らぎであり、幸せです。独立してこそ自由は掴めます。

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他人を害さない

だれに対しても荒々しいことばを言うな。言われた人々はその人に言い返すであろう。怒りを含んだことばは苦痛である。報復が(その人の)身に迫る。

無闇に他者を罵らない、怒らないことは安らぎへの道です。

他人を攻撃することで負の感情に縛られます。何より、エネルギーを消耗しますし、敵を作って報復される原因です。

落ち着いて自分の感情を制御することこそ必要です。心の平穏こそ安らぎであり、幸せです。

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日々努め励む

気力無くなまけている人も、遅鈍な人も、はっきりと知ることの無い人も、あらゆる絆を破りくだく安らぎ(=ニルヴァーナ)に達することはできない。

日々努め励んで精進することは安らぎへの道です。

いつまで経っても怠けていたり、無気力では安らぎにはなれません。

何事も継続したり、新たなことに挑戦したりすることが大切です。 実践に移すことこそ安らぎであり、幸せです。

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何事にも動揺しない

こわれた鐘が音を出さないように、汝が自分を動揺させ(煩悩をおこす)ことが無いならば、汝はすでに安らぎ(ニルヴァーナ)に達している。汝はもはや怒り罵ることがない。

動揺することがない状態は安らぎへの道です。

落ち着きを保てないと心が束縛されます。先ほども言いましたが、心の平穏こそ安らぎに欠かせません。

何事にも落ち着いて対処することが大切です。何事にも心奪われることなく冷静でいられることこそ安らぎであり、幸せです。

まとめ:安らぎとは幸せであり自由である

ブッダの言う「安らぎ」について、いかがでしたか?

さらに、ブッダはこう言います。

健康は最高の利得であり、満足は最上の宝であり、信頼は最高の友であり、安らぎ(ニルヴァーナ)は最上の楽しみである。

健康であること、満足していること、信頼されていることは全て幸せです。そして、安らぎであることは一番の楽しみであり自由でもあります。

仏教において、ブッダの言う安らぎに勝るものはありません。すべての賢者は安らぎに達することを目指します。

また、『ブッダのことば―スッタニパータ』でも、次のような記述があります。

修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること、これがこよなき幸せである。

私は正式な仏教徒でも修行僧でもありませんが、ブッダの言う「安らぎ」に達したいです。何より、自分の幸せは自分で掴むしかありませんから。

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