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あなたはどっち? 賢い人と愚かな人の5つの違い

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あなたは自分を賢いと思っていますか?愚かだと思っていますか?

また、周りの人はどうですか?

著者『真理のことば・感興のことば』にて、仏教の開祖であるブッダは以下のように語ります。

真理を喜ぶ人は、心きよらかに澄んで、安らかに臥す。聖者の説きたまうた真理を、賢者はつねに楽しむ。

眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。正しい真理を知らない愚かな者どもには、生死の道のりは長い。

ブッダは人を賢者と愚者に分けています。でも、賢者と愚者の差違って何でしょうか?

この記事では、著者『真理のことば・感興のことば』をもとにブッダの言う、賢者と愚者について考えていきます。

愚者は自らを賢者だと思い込む

もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、「愚者」だと言われる。

愚者は自らを賢いと思い込み、賢者を名乗ります。詐欺師が自らを才能ある人間だと名乗るのと同じように…

本当の愚者は自らを賢くて優秀な人間だと思い、自尊心を保ちます。現状に満足し努力を放棄するため、向上しません。また、他人との勝ち負けにこだわり、優劣を付けたがるのも特徴です。

一方、賢者は自らを賢いと思っていません。愚かであると思っています。本当に才能ある人が自らを天才だと思わないのと似ていますね。

本当の賢者は自分の愚かな点を反省し、改善するように努めます。向上心を持って、常日頃から自分を高めていくのです。

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愚者は権威主義である

愚かな者は、実にそぐわぬ虚しい尊敬を得ようと願うであろう。修行僧らのあいだでは上位を得ようとし、僧房にあっては権勢を得ようとし、他人の家に行っては供養を得ようと願うであろう。

「これは、わたしのしたことである。在家の人々も出家した修行者たちも、ともにこのことを知れよ。およそなすべきこととなすべからざることとについては、わたしの意に従え」愚かな者はこのように思う。こうして欲求と高慢とがたかまる。

愚者は高い地位に固執し、権威に溺れます。さらに、自分の手柄を誇示したり尊敬を得ようとするなど、承認欲求も高く傲慢です。

そして、周囲に自分を従わせようとすることを考えます。他人なんてお構い無しに自分のことだけしか考えていません。自分勝手で自己中心的なのです。

現代のクソ上司と同じですね。

(他人を)訓戒せよ、教えをさとせ。宜しくないことから(他人を)遠ざけよ。そうすれば、その人は善人に愛せられ、悪人からは疎まれる。

一方、賢者は権威に固執しません。また、他人に優しく接し、いい方向へ導こうとします。そして、同じ賢者の人々に愛されます。

自己犠牲的に他人を優先するということではありません。お互いのためになるように考え、相手に教えを諭すのです。

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愚者は後先を考えない

愚かな者は、悪いことを行なっても、その報いの現われないあいだは、それを蜜のように思いなす。しかしその罪の報いの現われたときには、苦悩を受ける。

愚者は後先考えず、欲望のままに動きます。悪事を行っても、その場しのぎで誤魔化します。しかし、時間が経てば悪事が暴かれ多大な不利益を被ることになるのです。

例えるならば、自ら行った不正行為が最初は隠せても、後から証拠が見つかることでバレて責任を負わされるようなものでしょう。

とにかく、愚者は欲望を制御できず目先の利益に固執します。後先なんて考えません。

水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は矢を矯め、大工は木材を矯め、賢者は自己をととのえる。

一方、賢者は欲望を制御し自らを整えます。自分と周囲に与える影響を考え、未来を見据えて行動します。悪事なんてもってのほかです。

だから、時間は掛かっても賢者は大きな利益を手にすることができます。

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愚者はすぐに動揺する

一つの岩の塊りが風に揺がないように、賢者は非難と賞讃とに動じない。

高尚な人々は、どこにいても、執著することが無い。快楽を欲してしゃべることが無い。楽しいことに遭っても、苦しいことに遭っても、賢者は動ずる色がない。

賢者は何事にも動揺せず、自我を保ちます。

批判されても心折れませんし、賞賛されることがあっても自惚れません。楽しくても苦しくても常に冷静です。快楽を求めることもありません。

逆に、愚者は何事においてもすぐに動揺します。

批判されれば攻撃的になり、賞賛されれば自惚れて天狗になります。楽しければハメを外しすぎて迷惑を掛けたり、苦しければ周囲に八つ当たりします。手段を選ばずに快楽ばかり求めようとします。

このように、愚者は自分の感情をコントロールできません。自我を保てないのです。

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愚者は財産を言い訳に悩み続ける

「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。

愚者は自らの財産に悩んだり、それを言い訳に行動しようとしません。

現代風に言えば、「養う家族がいるから仕事を辞められない」「家や車のローンでお金が必要だから挑戦できない」などがそうでしょう。

後先考えず欲望と快楽のために動いた結果です。それに、そんな状況下でも立ち回りを工夫したりして行動するくらいはできるでしょう。ただの思い込みであり、行動しない言い訳を並べているだけです。

一方、賢者は財産のことで悩みません。

そもそも、賢者は余計な財産を持ちませんし、最低限で済まします。欲望と快楽を求めないからです。

別の記事でも言ったように、賢者は価値判断に優れています。賢者は欲望を制御できるのです。

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終わりに:賢者に会おう

人々が自身を賢者なのか、愚者なのかを知ることも決めることも永遠にできないでしょう。

賢者は自らを賢者だと思いませんし、愚者は自らを愚者だと自覚しないからです。

ただ、ブッダは以下のように言います。

悪い友と交わるな。卑しい人と交わるな。善い友と交われ。尊い人と交われ。

(おのが)罪過を指摘し過ちを告げてくれる聡明な人に会ったならば、その賢い人につき従え。隠してある財宝のありかを告げてくれる人につき従ううに。そのような人につき従うならば、善いことがあり、悪いことは無い。

自分を賢者か愚者かを決めるのは不毛で意味がありません。

でも、自分より賢いと思った人、気が合う善人、尊敬できる人、助言してくれたり色々教えてくれる人は必ず存在します。

直観でも何でも良いので、そのような人を見つけてみてください。そして、その人を大切にしましょう。自分の支えになるはずです。

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