アイキャッチ画像

欲望は自由を奪う!? 偉人が語る、欲を抑えるための方法

スポンサーリンク

わたしたちは誰しも欲望を持っています。

しかし、著書『真理のことば・感興のことば』において、仏教の開祖・ブッダは次のように言います。

実に欲の生じた人は、汚れが漏れ、心が濁り汚れているであろう。

欲望が生じるのは心が汚れている状態であるとのことです。

確かに、「お金が欲しい」、「たくさん食べたい」など、時に欲望は自分勝手で他人に迷惑をかけることもあるでしょう。

続けて、ブッダは言います。

諸の欲望に執著し、つねに迷っている者どもは、束縛のうちに過ちを見ることが無い。束縛の執著にとらわれている者どもは、広くひろがった大きな流れを、決して渡ることがないであろう。

前回の記事にも書いた通り、欲望はわたしたちを束縛します。

束縛は苦しみです。言い換えれば、欲望も苦しみなのです。

でも、欲望をすべて捨てるというのは無理に近いでしょう。実際、最低限の食欲と睡眠欲はないと死んでしまいます。

それに無人島でも暮らさない限り、お金だって必要です。性欲も無意識でどうにかなるものではありません。また、私としては好奇心をはじめとする知識欲(探求心)も必要な欲だと思います。

とはいえ、過度な欲は浪費に繋がりますし、できる限りは抑えたいところですよね。

欲望を抑えるためには?

この記事では著書『真理のことば・感興のことば』をもとに、人間の欲望について考えていきます。

欲望は満たされない

ブッダは次のように言います。

たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。「快楽の味は短くて苦痛である」と知るのが賢者である。

欲望が満たされることは決してありません。むしろ、苦痛を味わうことになります。

お金をたくさん手にして富を築けたとしても、また別のものを欲するだけです。欲望は止められません。

続けて、ブッダは言います。

世にあって、情欲を離れ、諸の欲望を超えているのは、楽しい。「おれがいるのだ」という慢心をおさえよ。これこそ最上の安楽である。

「欲望を抑えることこそ安楽である」と。

また、「おれがいるのだ」のような承認欲求(自己顕示欲)も誰もが持っている欲です。

承認欲求はSNS上(特にTwitter)で顕著に見られます。 度合いは人によって違えど、誰もが認められたい・注目されたいと思っています。

Twitterがバカッターと呼ばれているように、犯罪などの過激な行為に手を染めたり過激な発言をしてまで注目を浴びようとする人がいるくらいですからね。ネット掲示板でゲームの廃人だったりスマホゲームの廃課金勢であることを自称したり、YouTubeといった動画サイトで動画を投稿するのもそうです。instagramのインスタ映えもありますね。

人間は承認欲求の塊なのです。

しかし、承認欲求が満たされることはありません。どんどんエスカレートしていきます。最悪の場合、後戻りできなくなります。

ブッダが言うように、欲望または欲求を抑えなければ安楽はありません。

スポンサーリンク

関連記事:自己顕示欲の塊! 自分を大きく見せたがる人の特徴とは?

知恵は欲望を抑える

では、欲望を抑えるためにはどうすればいいのでしょうか?

ブッダは以下のように言います。

欲望によっては満足することがないから、明らかな知慧(ちえ)をもって満足するほうが勝れている。

風によって吹き上げられた塵が雨によって静まるように、ひとが明らかな知慧によって見るときに、諸の欲望の思いが静まる。

欲望を静めるためには知恵が必要です。

知恵(ちえ、智慧)は、道理を判断し処理していく心の働き。筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。
出典:知恵-Wikipedia

「これは自分にとって必要なものか?」「価値あるものか?」など、自らの知恵で真実かどうかを見極め価値判断してこそ、欲望は抑えられます。

世間に流されずに情報を吟味し、ちゃんと自分の頭で考えることが大切なのです。

さらに、ブッダは言います。

諸の欲望にしたがっているあいだは、心が満足を得ることが無かった。しかし欲望から退き休止することを反省して見て、明らかな知慧によってよく満足した人々は、実に満足しているのである。

欲望に従っても心は満足しません。でも、知恵に従い自分で見極めてこそ心は満足します。

感情の赴くままではなく道理で判断してこそ、欲望に飲み込まれることなく心が満たされます。

知恵こそ欲望に勝るのです。

スポンサーリンク

終わりに:欲望を制して安楽になろう

車大工が(車を修理するときに)革の紐を切るように、諸の欲望のうちのどれかを捨てるごとに、それだけ安楽が実現される。

ブッダが言うように、欲望を1つ捨てるだけでも誰しも安楽になれます。欲望は束縛ですから。

また、ブッダは欲望について次のように語ります。

世間における種々の美麗なるものが欲望なのではない。欲望は、人間の思いと欲情なのである。世間における種々の美麗なるものはそのままいつも存続している。しかし思慮ある人々はそれらに対する欲望を制してみちびくのである。

欲望は世間ではなく、人間が自ら生み出しています。わたしたちの思い・感情が欲望なのです。

それでも、賢者は自らの欲望を制します。賢者は自らの思い・感情を制御し道理で判断するのです。

さらに、ブッダは言います。

人間のうちにある諸の欲望は、常住に存在しているのではない。欲望の主体は無常なるものとして存在している。束縛されているところのものを捨て去ったならば、死の領域は迫って来ないし、さらに次の迷いの生存を受けることもない、と、われは説く。

欲望を制すれば束縛を断ち切れるだけでなく、生き方に迷うことも死に恐怖することもなくなります。

自分の感情をコントロールすることが重要です。

貪っている人々のあいだにあって、患い無く、大いに楽しく生きよう。貪っている人々のあいだにあって、貪らないで暮そう。

妻子も、父母も、財宝も穀物も、親族やそのほかあらゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。
出典:『ブッダのことば―スッタニパータ』(訳:中村元、岩波文庫)

ブッダが言うように、わたしたちに過度な欲は必要ありません。最低限で十分なのです。

見栄を張らず、世間に惑わされず、欲望に打ち勝って自由に楽しく生きましょう。孤独に歩みましょう。

スポンサーリンク


関連記事:自分らしく生きるための5つの方法
Pocket
LINEで送る
このエントリーを Google ブックマーク に追加